2008年09月12日

おんがくやりたい。


さいきん私を熱くさせるものの上位に「おんがく」が

ランクインしている。

前に、おんがくをやっていたことはあったが、そのころは、

おんがくが、こんなにも人生にとって大きなたのしみとよろこびを

あたえる魔法だとは気付いていなかった。

あってあたりまえのものだったから、魔法だなんて思ってなかった。

オウ、なんともったいない・・・。

いま、おんがくやりたくてうずうずしている。


1か月くらい前はパンクロックをよく聴いていた。

土屋アンナが、いい。

いまだにブルーハーツもよく聴く。

ブルーハーツは、わたしの人生の一部だからね、

切っても切れない縁なのさ。


いまは、ちょっとゆるい感じの、ハスキーな和み系を欲している。

アンジェラ・アキ、ハナレグミ、フィッシュマンズなどである。


そして想像力かきたてるのが、おんがくマンガですよ!

「のだめカンタービレ」。

これは本当におもしろい。

音がきれいだしクラシックって、喜怒哀楽があって、ゆたかで、

やっぱいいなあ。

オケのはくりょくってすごいなあ、と、どきどきするのだ。

あとは、さそうあきらの「神童」。

これも、相当感動します。

音の出ないマンガの世界で、おとを表そうとしたマンガです。

ピアノがメインのマンガだけど、ほんとうに楽器って、

演奏するひとによって音がぜんぜんちがうのを感じる。

成瀬うたの、全世界を共鳴させて命を讃歌するおんがくが

伝わってきて、うたがピアノを弾くたび、

じぶんもそのおんがくに共鳴して涙が出そうになるのだ。

おんがくって、すてきだ。

世界がいとしく思える。


のだめにせよ神童にせよ、セリフ中で

「どうやったら、あんな音が出せるんだろう・・・!」とか

「ああ、こんなモーツァルトは、聴いたことがない・・・!」とか

言われるとですね、悶絶です。

き、きいてみたい〜でも聴けない〜みたいな。

美味しんぼとか、ミスター味っ子とか、

「登場人物がそこまでいうんだから、

どんな味かすっごいすっごい気になるけど

でもぜったいに味わうことのできない無念さばかりがつのる

究極の料理」なみに悶絶。


なんかひさびさに、クラシックのピアノが聴きたくなった。


ちなみにジャズでわたしのなかのナンバーワンは、

オスカー・ピーターソンです。

あの人が弾くと、ほんとうにピアノがよろこぶから。

すてきなおんがくです。

ぜひ。



ニックネーム ぴょこたん at 01:49| Comment(43) | 日々のこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プライド。


仕事でなさけない失敗をしてしまった。

ここのところの魂の抜け具合が、モロに出た感じだった。

きのうは、なさけなさとみじめさで、眠れんかった。

こんなやりきれない夜をすごすのは、はじめてかもしれない。


失敗をしたことよりも、「おや?まずいんじゃないか?」と

思ったのに、そのままやりすごしたその判断力が、なさけなかった。

もっとなさけなかったのは、それが露呈した時の自分の態度だ。

根底に「べつにやりたくてやってる仕事じゃねえや」という思いが

堂々と鎮座していたのだった。


そんなにやりたくないなら、やらなくてもよかった。


今はそう思う。

どんなことであっても、無理をする必要はないんだと思う。

自分の限界点を超えたものを自分に課しつづけても、

できないものはやっぱりできないのだ。

ましてや、根底で、気持ちが拒否している仕事をひき受けて、

自分自身が小さく感じるなら、プライドを守ったほうがよかった。

しんどくてもプライドをもってできる仕事を選ぶべきだったと思う。


昨夜仕事でかかわった人々は、一回限りだから、

たぶんもう一生会わないと思う。

親近感も連帯感もないけど、胸が痛くて、ねむれなかった。


思考が行動より先に立つ。

行動する前から「うまくいく」と思えるからうまくいくし、

根底で「いやだな、いやだな」と思っていたら、

ぜったいにどこかで崩壊する。


ただ、やっぱりひとつ言えることがある。

「いろいろなことを経験している人は、他人の気持ちがわかる」

というのは、真実だと思う。


この経験は、合理的じゃないし、ぜんぜん賢くないし無駄だけど、

いつかだれかのことを理解してあげられるかもしれない。

そして、理解された瞬間に、人は救われるものだ。


がんばんなきゃ、な。






ニックネーム ぴょこたん at 01:28| Comment(0) | 日々のこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

逃げも隠れもせず。

そうじした。

ひさびさに。

とつじょ夜中の1時に思い立ち、好きな音楽をかけながら

歌いつつ、ときに挫折しつつ、やや眠くなりゴロゴロしながら

朝の6時までそうじ。

やりだしたらとまらないのが、そうじなのだ。



中村俊介の『察知力』を読んだ。

すごく当たり前の、だけど感度の高いことが書いてあって、

とても良かった。

胸を打たれる言葉もたくさんあった。

彼は、しずかに燃える情熱と緻密な計画性をもっていた。

どうにも「暗くて、ぼんやりしゃべる、おとなしい人」

というイメージだったので、とても意外な気がしたけれど、

よくよく考えれば、俊介レベルの活躍をしている人が、

なんにも感じてないわけがない。

『あたりまえだよなあ』とため息をついた。

人より多くのものが見えているつもりで、いったい私は

どれだけのことが見えているんだろうと反省した。



「デスノート」のDVDも観た。

主人公のライトが、警察に容疑者として疑われている場面で

「話があるなら、尾行なんかしないで、会いに来てください。

逃げも隠れもしませんから」

というのがあった。



ぎくっとしちゃったんだよなあ。



実際は、容疑者どころか、ライトこそが犯人なのだけれど、

「逃げも隠れもしない」と言えるのは、自分がやっていることが

心底正しいと信じているからで、

だからこそ、自分に立ちはだかる障害にたちむかって、

乗り越えようと考える。

「逃げも隠れもしない」というセリフが言える。

彼のとった方法はまちがっていたけれど、

ひとが、自分が「ただしい」と感じたことを実現させるために、

障害にたちむかうときのやりかたは、どんな場合でも、

同じなのだなあ。



逃げてばっかりじゃ、どこにいっても自由にはなれない。

ところで、私は、なにから自由になりたいの?

なにが自分を追いかけてるの?

なにに縛られて苦しいの?

そう問いかけた。



それは誰でもない、自分自身だ。

「あの人があのときあんなこと言わなければ」とか、

「もしもこういう教育を受けていたら」とか、

そういうんは、やまほどある。

そりゃあ、悔いは残ってる。



でも、そういう湧き上がってくる自分の考えに追いかけられて

縛られて、私はいまだ、自由になれないのだと思った。

俊介いわく「人を妬んでいると、サッカーがうまくなれない」

というまさしくそれだ。

うまくいかない理由をあげたら、山のようにあるだろう。

だけどそれらを、できない理由、できなかった理由にして

しゃべっていたら、それだけで一生が終わってしまうよ。


いろいろ障害はあっても、結局みんな過去のこと。

もちろん未来にも起こりうるかもしれないけど、

だけど、未来は変えられる。

いまから、いくらでも。

未来を変えるためにあるのが、現在、という時間。



期待通りにことが運ばなかったとき、

そしてその原因が、どうしても理不尽で納得できないとき。

『こんな理不尽なことは自分の責任じゃないよ。

なんで自分ががんばんなきゃいけないの。

なんで自分がもう一度這い上がんなきゃいけないの。』って、

ものすごく思う。

こだわる。



理不尽さに納得できないと駄々をこねていたら何も始まらない。

だから、理不尽でも這い上がって未来を得る。



きっと・・・それが、正しい。



私は、まだこだわっている。

理不尽だから、自分のせいじゃないのに。

それでも、また?

また、私が、がんばんなきゃいけないんですか?

って、すごい、こだわっている。



失敗した自分を許し、決断させる。

それが、自由の始まりかあ。

未来は、まだ、私の手の届くところにあると思っていいのだろうか。

たったひとすじの光。

生きている意味。



やれやれだわ・・・。




ニックネーム ぴょこたん at 06:21| Comment(1) | 日々のこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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